津地方裁判所 昭和27年(行)1号 判決 1952年12月17日
原告 石倉政蔵
被告 三重労働者災害補償保険審査会
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は、被告三重労働者災害補償保険審査会が昭和二十六年十月十五日原告に対しなした審査決定はこれを取消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、その請求原因として原告は昭和二十五年三月十日三重県尾鷲町土木出張所の工事現場である北牟婁郡二郷村萩原川堤防改修工事場において土工として訴外南勝四郎と共に土砂入りトロツコを運搬中同日午後一時過ぎ頃トロツコより土砂をあげんとした際右トロツコが原告側に戻り、そのため原告は土砂約三百五十貫入りの右トロツコの下敷となり胸部及び背部に打撲傷を受けたので尾鷲町所在紀勢病院で約二箇月治療を受け次いで一志郡豊地村薬王寺病院において二週間に亘つて投薬を受け更に同年七月二十二日より同年十月三十日迄尾鷲町所在の山脇医院において電気治療を受けたが現在に至るもいまだ全治しない。そこで原告は右打撲傷について労働者災害補償保険法による保険給付を受けるため同年十一月十三日右山脇医師及び尾鷲町福山益夫医師に夫々診断を受けたところ右両医師はいずれも原告の当該打撲傷は労働者災害補償保険法施行規則による障害等級第七級四号に該当するものと認定したので原告は直ちに所轄松阪労働基準監督署に保険給付の手続を求めたところ同監督署は原告の右障害等級を第十四級と決定し昭和二十六年一月頃原告に対しその旨の通知があつた。しかし原告は右決定に対し異議があつたので再び三重労働基準局保険審査官にその審査を請求したが同審査官は同年五月三十一日原告の右審査請求の申立を認めないとの決定をしたよつて原告は更に同年七月八日被告審査会に対し右決定を不服として審査の請求を申立たところ被告審査会においても原告の請求を容れずその障害等級を第十二級十二号に該当するものと決定し原告は同年十一月九日右決定の通知を受けた。然しながら原告の受けた打撲傷は前敍の如く現在においてもいまだ全治するに至らない状態であつてその障害等級は前示山脇医師の診断のとおり第七級四号以上に該当する負傷であることが明かであるに拘らず被告審査会は不当にもこれを第十二級十二号に該当する障害と認めてその旨の決定をしたのは違法であるから原告は茲に被告審査会の右決定の取消を求めるため本訴請求に及んだ次第であると陳述した。
(立証省略)
被告は、まず新訴却下の判決を求め、本案前の主張として、原告は昭和二十七年一月八日三重労働基準監督署長を被告として本訴を提起し、同年二月九日に至つて被告を三重労働者災害補償保険審査会と変更したのであるが、原告はその主張により明かな如く保険審査官の決定に対し異議を述べ被告審査会にその審査請求を申立て被告審査会よりこれに対する決定を受けているのであつて三重労働基準局長は被告の労働災害について何等の決定もしてないことは原告自から知悉しているに拘らず本件において当初被告を右基準局長とし次いでこれを被告審査会に変更したのは原告の明かな故意でなければ重大な過失であるから原告の本件被告の変更は違法であると述べ、次いで本案につき主文同旨の判決を求め答弁として、原告主張事実中原告が昭和二十五年三月十日三重県尾鷲町土木出張所の工事現場である北牟婁郡二郷村萩原川堤防改修工事場において土工として作業中業務上の災害事故のため負傷したこと、その後原告は医師の証明を得て松阪労働基準監督署に対し障害補償保険給付の請求をなしたところ同監督署は原告主張の頃原告の身体障害は労働者災害補償保険法施行規則別表第一身体障害等級第十四級九号に該当する旨決定しその旨原告に対し通知したこと、原告は右決定を不服として三重労働基準局保険審査官に異議を申立てたが同保険審査官は原告の申立は認めない旨を決定したこと、原告は更に昭和二十六年七月八日被告審査会に対し審査の請求を申立て被告審査会は同年十月十五日原告の身体障害等級を前示施行規則別表第一の第十二級十二号と認定したことはこれを認めるがその余の事実は争う。即ち原告は松阪労働基準監督署の災害補償保険給付規定に対し不服として異議を申立て保険審査官の審査を求めたので同審査官は先ず原告の治療に当り原告の身体障害につき証明書を作成した柔道整復師山脇益躬及び医師福山益夫につき職権上証拠調をしたところ右山脇益躬は柔道整復師であつて内臟の諸機能については診断することができないので当初原告の治療を担当した紀勢病院内山保夫医師の診断に基き或は将来内臟の機能に変化をきたすかも知れないと思料し原告の身体障害を第七級四号に該当するものと認定したのであり福山益夫医師も原告の申立と山脇整復師の意見を信用したのみで右山脇整復師の証明に同意したのであつていずれもその根拠に乏しいことが明かとなつた。そこで同審査官は更に当初原告の治療を担当した前示内山保夫医師の診療状況の報告を求めると共に四日市病院中山秀雄医師、松阪市民病院吉武泰男医師及び三重医科大学附属病院山本俊介医師の各意見診断を求めたところいずれも原告の障害に胸腹部の臟器に理学的な異常を認めずただ胸部に神経症状を残すものとの認定であつたので同審査官は原告の審査申立を認めないと決定したのである。しかして被告審査会は原告及び右審査官各提出の証拠を審査熟考し更に医学的検討をなすべく原告本人の身体障害につき三重医科大学附属病院飯田茂医師をして原告本人の身体障害につき再診断せしめたところその障害は脊髄胸腹部内臟に器質的変化なく僅に左第九肋骨に陳旧性骨折の像を認めるのみで本人の訴える左胸部疼痛は第九肋骨々折部過剰仮骨に基く肋間神経圧迫による疼痛であることが判明した。よつて被告審査会は慎重審議の結果原告の身体障害はその主張の如く前示等級表第七級四号にいう胸腹部臟器の機能に障害を残し軽易な労務の外服することができない場合には該当せず、局部に頑固な神経症状を残すものとして同表第十二級十二号に該当するものと認定しその旨の決定をしたのであつて毫も不当或は違法の点がない。しかのみならず原告は被告審査会の右決定を受けるやこれを感謝し直ちに決定給付金全額を受領してこれを全面的に承認したのであるから右決定に対する不服申立権を放棄したものというべく従つて原告は最早被告審査会の本件決定の効果を争うことができないのである。以上の如く原告の本訴請求はいずれの点においても理由がないから失当として棄却されるべきであると陳述した。
(立証省略)
理由
よつてまず本件訴の適否について判断するに、原告は当初被告を三重労働基準局長として本件訴を提起し、その後昭和二十七年二月十七日附(同月十九日当庁受附)訴状に基き、同年四月二十二日の口頭弁論で被告を三重労働者災害補償保険審査会と変更し、同審査会が昭和二十六年十月十五日原告に対してなした保険給付の審査決定の取消を求めたことは本件記録に徴し明かである。しかして行政事件特例法第七条によれば原告において故意又は重大な過失がない限り被告とすべき行政庁を誤つたときは訴訟の係属中ならば被告の変更をすることは可能であり本件記録及び口頭弁論の経過に徴すれば原告は当初より弁護士を訴訟代理人とすることなく自身で訴訟行為を遂行しているのみならず原告は訴訟の経験に乏しく訴訟法規に通暁しているものとはみられないから当初報告とすべき行政庁を誤つて三重労働基準局長としたことについて特に故意又は重大な過失があつたものということができず、他に原告に故意又は重大な過失があつたと断定すべき事実を認めることができないから原告のなした被告の変更は適法であるといわなければならない。
なお被告は原告は被告より前敍の決定を受けるやこれを感謝し直ちにその決定給付金全額を受領してこれを全面的に承認したのであるから右決定に対する不服申立権を放棄したものであるとして恰も原告が訴権の放棄をしているように主張しているようであるからこの点についても判断を加えるになるほど当事者間その成立に争のない乙第二号証の記載によれば原告が被告決定の給付金全額を既に受領していることが認められるけれども、たとえ原告においてその当時右決定に感謝して給付金の受領をしたとしてもこの事実をもつて直ちに原告が右決定を全面的に承認し、訴権までも放棄したとは解せられないしその他右事実を認定するに足る証拠がないから被告の右主張は採用できない。
そこで進んで本案について考えてみるに、原告が昭和二十五年三月十日三重県尾鷲町土木出張所の工事現場である北牟婁郡二郷萩原川堤防改修工事において土工として作業中業務上災害事故により左胸部に負傷し紀勢病院、山脇益躬整復師及び福山益夫医師等の診断治療を受けたこと、その後同年十一月十三日頃原告は右山脇整復師及び福山医師の障害認定証明書を得て松阪労働基準監督署に対し障害補償保険金の給付請求をし同監督署は昭和二十六年一月頃原告の右障害を労働者災害補償保険法施行規則に基き同規則別表第一の身体障害等級第十四級九号に該当すると決定しその旨原告に通知したこと、原告は右決定を不服として三重労働基準局保険審査官に異議を申立たが同審査官は原告の申立を認めない旨を決定したこと、原告は更に昭和二十六年七月八日右審査官の決定を不服として被告審査会に対し審査の請求を申立て被告審査会は同年十月十五日原告の身体障害を前示別表第十二級十二号に該当する旨決定したことはいずれも当事者間に争いがない。しかして成立に争いがない甲第一号証の二乃至十一(但し甲第一号証の三は乙第十号証、六は乙第三号証、七は乙第四号証と同じ)の記載の一部に証人山脇益躬、福山益夫の各証言を綜合すると、原告の前示障害は土砂の運搬作業中におけるトロツコによる左胸部肋骨の裂症であつて、原告は受傷当初から尾鷲町所左の紀勢病院及び薬王堂医院において治療を受けその後昭和二十五年七月二十二日頃より柔道整復師山脇益躬の治療に転じ同年十一月十三日頃迄引続きその治療を受けたが全治するに至らず長時間に亘る座位及び横臥に際しては今尚胸部に神経痛様の疼痛を来す状態であることが明かである。しかしながら成立に争いがない乙第七乃至九号証の各記載によれば原告の右障害は左胸部第七、第九肋骨の骨折であるが該両骨折は既に全く癒合し仮骨稍過剰に形成され唯第九肋骨推関部より約五糎の箇所に陳旧性骨折の像を認めるのみで第七肋骨軟骨移行部には変化がなく脊髄胸腹部の内臟にも何等器質的変化がみられず前示左胸部の疼痛は第九肋骨々折部過剰仮骨による肋間神経の圧迫による疼痛であることを認定することができる。尤も原告は右疼痛は胸腹部内臟の機能の器質的変化によるものであると主張し、前顕甲第一号証の三、六、七及び乙第十号証の各記載の一部にはこれに吻合すが如き柔道整復師山脇益躬及び医師福山益夫の診療所見がみられるが右各号証及び成立に争いがない乙第三乃至五、十、十一号証の一部に証人山脇益躬、福山益夫の各証言を綜合すると柔道整復師は元来内臟の諸疾患については診療する資格がないのであり、山肋整復師の前示診断所見も専ら原告が当初診療を受けた紀勢病院内山医師の診断に基く単なる推論的見解にすぎず福山医師においても何等精密な検査に基かずして原告の申出と山脇整復師の意見に信頼して原告の障害に対する山脇整復師の証明に同意したまでであるのみならずその基礎をなした右内山医師の診断には、原告の障害は唯胸部挫傷で疼痛を訴えるのみであつてレントゲン線及びその他の理学的検査によるも胸腹部の内臟に何等の器質的変化もみられなかつたことが明かであり甲第一号証の二及び十一も単に原告の審査請求に関する意見の主張であつてこれはいずれも前示山脇整復師の所見に基くものであるからこれらの証拠のみによつてはいまだ原告の右主張を採用するわけにはいかない。そうすると原告の前示障害は局部に頑固な神経症状を残すものとして正に労働者災害補償保険法施行規則別表第一身体障害第十二級第十二号に該当するものというべきであつて被告審査会のした本件決定には何等不当違法な点はないものといわなければならない。
よつて原告の本訴請求は理由がないから失当としてこれを棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 木戸和喜男 中瀬古信由 家村繁治)